2011年2月22日に発生したニュージーランド地震から、2026年で15年を迎えました。
この地震では185人が死亡し、そのうち日本人28人が犠牲となりました。
富山市の富山外国語専門学校では、生徒12人が命を落とすという痛ましい被害が発生。
節目となる今年2月22日、同校で追悼の集いが開かれ、遺族や在校生が祈りを捧げました。
当記事では、15年という年月を経てもなお続く遺族の思いと、未解決の謝罪問題について考えます。
ニュージーランド地震とは
ニュージーランド地震(カンタベリー地震)は、2011年2月22日午前8時51分(日本時間)に発生しました。
震源地は南島クライストチャーチ近郊。
市中心部を襲った強い揺れにより、多くの建物が倒壊しました。
この地震による死者は185人。
その中には、日本から語学留学中だった学生など日本人28人が含まれていました。
特に、倒壊したCTVビルでは多くの留学生が犠牲となり、日本国内でも大きな衝撃を与えました。
石川県内からも3人が命を落とし、全国的な悲しみが広がりました。
海外で起きた災害でありながら、日本社会に深い爪痕を残した出来事です。

富山外国語専門学校の追悼の集い
生徒12人が犠牲となった富山市の富山外国語専門学校では、2026年2月22日に追悼の集いが行われました。
会場には遺族や在校生、関係者が出席し、地震発生時刻の午前8時51分に合わせて黙祷が捧げられました。
静寂の中で、それぞれが15年前の出来事に思いを馳せました。
在校生を代表して森樹里さんは、次のように述べました。
「この出来事を誠実に受け止め、日々の生活に向き合うことが私たちにできることだ」
引用:石川テレビ
若い世代が記憶を受け継ぎ、未来へとつないでいく姿勢が印象的でした。
追悼の場は、単なる儀式ではなく、命の重みを再確認する時間でもあります。
菊田紗央莉さんの父が語った15年の思い
犠牲者の1人、金沢市の菊田紗央莉さん。
当時、富山外国語専門学校の生徒として語学研修に参加していました。
父・菊田邦俊さんは、15年が経過した現在も続く複雑な思いを語りました。
「(建築士が)いいかげんな設計をしてビルが壊れたことに関して、ひと言も、公式にも私的にも謝罪の一言もないというのは、人間として人道的なところからもどうなのか」
引用:石川テレビ
娘が戻ってくることはない。それでも「親としての一つの区切り」として謝罪を求め続ける姿勢には、深い悲しみと誠実さがにじみます。
「15年たって我々遺族も1人1人の環境もずいぶん変わりました。会えるものなら会いたい。」
引用:石川テレビ
時間は流れても、親の思いが薄れることはありません。
未解決の謝罪問題と今後の課題
地震で倒壊したビルをめぐっては、設計や耐震性に関する問題が指摘されてきました。
遺族らは建築士などに対し謝罪を求めていますが、公式・私的を含め、明確な謝罪は実現していません。
15年という年月が経過した今も、責任の所在や道義的な対応について議論が続いています。
今後の課題として挙げられるのは、
・海外災害における日本人被害者支援の在り方
・建築物の安全基準と国際的責任
・遺族への長期的支援体制
災害は一瞬で起きますが、その後の課題は長く続きます。

ネット上での反応と声
ネット上では、
・「もう15年も経ったのか」
・「今も謝罪がないことに驚いた」
・「若い命が失われたことを忘れてはいけない」
といった声が見られます。
特に、若い世代からは「当時は幼かったが、改めて知る機会になった」という投稿もあり、出来事を伝え続ける重要性が再認識されています。
一方で、「災害の責任問題は難しい」という冷静な意見もあり、様々な立場から議論が続いています。

まとめ
ニュージーランド地震から15年。
日本人28人が犠牲となり、その中には未来ある学生たちが含まれていました。
富山外国語専門学校での追悼の集いは、亡くなった命を悼むとともに、記憶を風化させない決意を示す場でもあります。
未解決の謝罪問題という課題を抱えながらも、遺族は歩みを止めていません。
私たちにできることは、この出来事を知り、忘れず、防災意識を高め続けることではないでしょうか。
15年という節目に、改めて命の重みと向き合う時間を持つことが求められています。

コメント